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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)3732号 判決 1967年4月28日

原告

萩原セキ

ほか七名

右原告八名訴訟代理人

的場武治

竹田章治

被告

国森元一

ほか四名

右被告五名訴訟代理人

菅谷幸男

被告

住友セメント株式会社

右代表取締役

斉藤次郎

右訴訟代理人

玉井幹一

三宅辰雄

石川正明

主文

1、被告らは各自、原告萩原セキに対し金一三一万九、〇〇〇円、原告萩原初蔵に対し金九三万七、〇〇〇円、その余の原告らに対し各金五三万四、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四〇年五月二〇日から各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2、原告らのその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らのその余を被告らの各連帯負担とする。

4、この判決の原告ら勝訴の部分は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、原告ら 「被告らは各自、原告萩原セキに対し金三三一万二、〇〇〇円、原告萩原初蔵に対し金一五七万六、〇〇〇円、その余の原告らに対し各金一一〇万三、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四〇年五月二〇日から各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

二、被告ら 「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二  原告らの請求原因

一、事故の発生

被告国森元一(以上被告国森という。)は、昭和三九年四月一五日午前八時二〇分頃、大型貨物自動車愛一い一〇九二号(以下被告車という。)を運転して、東京都目黒区中目黒二丁目五九一番地先道路を北進中、その進路前方センターライン寄りに、右折のため対向車の通過するのを待って停車していた訴外植田芙爾夫(以下訴外植田という。)の運転する普通貨物自動車品四れ八八七六号(以下訴外車という。)の右後部に追突し(以下これを第一事故という。)、この衝撃により訴外車はセンターラインを越えて右前方に押し出され、その右前部が折から同所に対向して進行してきた原告萩原初蔵(以下原告初蔵という。)の運転する普通貨物自動車品四れ三〇一五号(以下原告車という。)の右前部に衝突し、このため、原告車の助手席に同車中の萩原夘吉(以下被害者という。)は頭蓋骨骨折、頭蓋内出血等の傷害を受けて、同日午前一一時二〇分頃死亡するに至り、原告初蔵は頸部外傷、右肘部・両膝部挫傷、右手背小指挫創の傷害を受け、原告車は大破するに至つた。(以下これを第二事故という。)

二、被告国森の過失

被告国森は前記のとおり被告車を運転するに当り、前方注視の義務を怠つた過失により、前記のとおり停車していた訴外車の発見が遅れ、そのため前記のとおり被告車を訴外車に追突せしめて第一事故を惹起し、これにより第二事故を惹起するに至らしめたものである。

よつて同被告は直接の加害者として第二事故に基づく後記損害を賠償する責任がある。

三、被告三協運送合名会社の責任

被告三協運送合名会社(以下被告三協という。)は被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者でありまた被告国森は被告三協の従業員であつて、被告三協の物品運送の業務の執行として被告車を運転中に前記の過失によつて本件事故を惹起した者である。

よつて被告三協は、本件事故に基づく後記損害のうち、人的損害については自動車損害賠償保障法第三条により、物的損害については民法第七一五条第一項により、いずれもこれを賠償する責任がある。

四、被告田中正治、同安達一雄、同伊藤きんの責任

被告三協は合名会社であり、被告田中正治、同安達一雄、同伊藤きん(以下それぞれ被告田中、同安達、同伊藤という。)はいずれも当時その社員であつた者であるが、前項のとおり被告三協は原告らに対し後記の総額金一、一五〇万六、〇〇〇円の損害賠償債務を負つたものであるところ、被告三協は資力に乏しく、到底右債務を完済することができないから、被告田中、同安達、同伊藤は、被告三協とともに連帯して右債務を原告らに対し弁済すべきである。

五、被告住友セメント株式会社の責任

被告三協は、被告住友セメント株式会社(以下被告住友という。)の名古屋スレート工業所(以下名古屋工業所という。)の製造するスレートの運送を業とすべく設立された会社であつて、本件事故当時も被告住友の右製品の運送のみを取り扱い、発注者も大部分被告住友であつて、例外的になお余力のある場合にのみ、被告住友から右製品を購入する者の注文により名古屋工業所内から右製品を運送することもあつたが、これも被告住友との右関係に由来するものであつた。また被告住友としてもその製品の運送にはまず一次的に被告三協に当らせ、それで足りない場合にのみ他の運送業者に発注することとしていた。そして被告住友はこの被告三協の業務に便宜を与えるため、名古屋工業所構内の建物の一部を被告三協に無償で貸与して、被告三協の本店兼営業所として使わせ、しかもこの建物には被告三協の看板すらなく、被告三協はこれ以外に本店、営業所その他の建物を持たず、被告三協の所有自動車の置場としては専ら名古屋工業所構内の空地が用いられており、被告三協は全く被告住友の運送部門としてその組織内に包摂されている外観を呈していた。

以上のような専属的、従属的関係に基づき、被告三脇の業務は専ら被告住友の指示どおりなされ、被告住友は名古屋工業所管理責任者または担当者を通じて、被告三協の従業員の業務執行に対しても、被告三協所有自動車の置場、運送に当つての運転方法等のみならず一般的に指揮監督をしていたのであつて、被告住友と被告三協の従業員との間には使用者と被傭者との関係と同視しうべき関係があつた。そして本件事故は、被告住友の注文により被告住友の製品を被告住友の名古屋工業所から東京の王子工業所へ運送する被告三協の業務の執行として、被告三協の従業員である被告国森が被告車を運転途上、その運転上の過失により惹起されたものである。

よつて被告住友も、被告三協の従業員たる被告国森に対し事実上使用者の立場にあつた者として、民法第七一五条第一項により、本件事故に基づく後記損害を賠償する責任がある。

六、損害

(一)  被害者の死亡による損害

(イ) 被害者の得べかりし利益の喪失

被害者は当時八百利支店の名称で青果業を営み、年少なくとも金八三万円の収入があり、その収入を得るために必要な生活費として年間金一八万円を費消していたから、これを差し引き、年間金六五万円の純益を挙げていた。被害者は当時満五九才の健康な男子であつたから厚生省発表の昭和三八年度簡易生命表による同年令の男子の平均余命から推して、本件事故に遭わなければなお一六年間は生存しえて、この間右の青果商を続け、毎年右と同程度の純益を挙げえたはずであるところ、本件事故によりこれを失つたものというべく、これから年毎にホフマン式計算方法により年五分の中間利息を控除して合算し、その損害発生時における一時払額を求めると金七四九万八、六四七円となり、被害者は本件事故により同額の損害を受けた。

(ロ) 被害者の治療費

被害者は本件事故により前記のとおり受傷した後、死亡するまでの間石輪外科病院で治療を受け、同日その治療費として金一万二〇〇円を同病院に支払い、同額の損害を受けた。

(ハ) 被害者の慰藉料

被害者は本件事故による受傷のため間もなく生命を失つたもので、これにより蒙つた被害者の肉体的精神的苦痛に基づく精神的損害をもつて償うには、金一〇〇万円の支払いを受けるのが相当である。

(ニ) 物的損害

原告は被害者の所有であつたところ、本件事故により大破し、修繕が不能となつたため廃車処分のやむなきに至つたが、本件事故当時原告車の価値は金一〇万円を下らなかつた。また原告車が使用不能になつたので、昭和三九年四月一五日から同年七月一五日までの間、青果業を継続するために他へ青果物の運送の依頼をし、その費用としてその頃金四万五〇〇〇円を支払つた。これらはいずれも、本件事故に基づく原告車の破損により被害者の蒙つた損害というべきである。

(ホ) 葬式費用

被害者の死亡によりその葬儀関係の費用として、原告らは被害者の遺産中から合計金二八万四六〇〇円を支出した。このうち原告らの後記各相続分に応じて按分した額が本件事故に基づく原告らの損害というべきである。

(ヘ) 原告らの相続など

以上により、被害者は本件事故に基づき右(イ)ないし(ニ)のとおり損害賠償請求権を取得したものであるところ原告萩原セキ(以下原告セキという。)は被害者の妻として三分の一、その余の原告らはいずれも被害者の子として各二一分の二の各相続分をもつて、相続により被害者の右請求権を承継したが、原告らは本件事故に基づき自動車損害賠償責任保険による保険金五〇万円のうち右相続分に応じた額を受領し、これを右(イ)の被害者の損害賠償請求権の原告らの各相続分に充当したからこれを差し引き、右により原告らの各被害者の請求権を相続した分の残額と、前記(ホ)の原告らの各相続分に応じて按分した損害との合算額を求めると、左の計算のとおり、原告セキにおいて金二八一万二〇〇〇円(千円未満切捨)、その余の原告らにおいて各金八〇万三〇〇〇〇円(千円未満切捨)となる。

(原告セキ分)

(その余の各原告分)

(ト) 原告らの慰藉料

原告セキは被害者の妻、その余の原告らはいずれも被害者の子であり、なかんずく原告萩原正治、同光男は未成年であり、特に正治は脳性小児麻痺による半身不自由児であつて、原告セキは右両名を養育すべき立場にある原告らは、本件事故に基づく被害者の死亡にりよ生活の支柱を失つたものであり、その精神的苦痛は甚大であつて、これを金銭をもつて償うためには、原告セキにおいて金五〇万円、その余の原告らにおいて各金三〇万円の各支払いを受けるのが相当である。

(二)  原告初蔵の受傷による損害

(イ) 原告初蔵の得べかりし利益の喪失

原告初蔵は当時被害者の青果業を手伝うかたわら、独自に青果業を営んで収益をあげていたところ、本件事故に基づく前記受傷のため、事故直後から昭和四〇年一月一二日まで休業のやむなきに至り、この間に得べかりし金三四万円の利益を本件事故により失い、同額の損害を受けた。

(ロ) 原告初蔵の治療費

原告初蔵は前記受傷により、事故直後から昭和三九年六月一六日まで石崎外科病院に入院し、その後も自宅で療養しながら同病院に通院して治療を受け、この治療費として、両原告は、自動車損害賠償責任保険による保険金により支払われたもののほかに、合計金三万三三九〇円を同病院に支払い、同額の損害を受けた。このうち同原告は被告らに対し千円未満を初り捨てた額金三千三〇〇〇円を請求する。

(ハ) 原告初蔵の慰藉料

原告初蔵は右受傷により、右のとおり約二カ月間入院し、その後も通院加療を続けたが、未だに頭痛、めまいなどの症状が残つており、本件事故により重大な肉体的精神的若痛を受けたもので、この精神的損害を金銭をもつて償うには、同原告において金一〇万円の支払いを受けるのが相当である。

(三)  以上により、被告らは各自、原告セキに対し右(一)の(ヘ)の合算額と(ト)との合計金三三一万二〇〇〇円、原告初蔵に対し右(一)の(ヘ)の合算額、(ト)(二)の(イ)、(ロ)、(ハ)の合計金一五七万六〇〇〇円、その余の原告らに対し各々右(一)の(ヘ)の合算額と(ト)の合計各金一一〇万三〇〇〇円および右各金員に対する損害発生の後である昭和四〇年五月二〇日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第三  請求原因に対する被告国森、同三協、同田中、同安達、同伊藤の答弁

一、請求原因第一項の事実中、第二事故が第一事故の被告車の追突による衝撃により生じたことの点は争い、その余は認める

二、同第二項の事実は争う。

被告国森は事故現場にさしかかる一〇米位手前から訴外車を発見しこれに注意を払つていたのであるが、訴外車が右折の合図をすることなく単に減速して右折の態勢を示したので急制動をかけたが間に合わず、被告車が訴外車に追突するに至つたもので、被告国森には過失はなかつた。

仮に同被告に第一事故についての過失があつたとしても、訴外車の運転者訴外植田としては、右折の態勢にあつたのであるから、対向車には常に注意を払つているべきもので、従つて被告車に追突された後、直ちに対向車である原告車との衝突を避けるため、左方に避譲するか急停止の措置をとるべきところ、これを怠り、何らなすところなく追突されるままに訴外車を進行させた過失があり、また原告車の運転者原告初蔵としては、右折しようとする訴外車に常に注意を払い、これが右追突により自己の進路に向つて進行してくるのをいち早く発見して、直ちに避譲あるいは急停止の措置をとるべきであるのに、これを怠つて漫然と進行した過失があり、訴外車と原告車との衝突は専ら右の訴外植田、原告初蔵の各過失によるものであるから、被告国森の過失と第二事故との間には因果関係がないというべきである。

三、(被告三協)同第三項のうち被告三協に損害賠償の責任があるとの点を除き、その余の事実は認める。

四、(被告田中、同安達、同伊藤)同第四項の事実中、被告三脇が合名会社であり、被告田中、同安達、同伊藤がその社員であつたことは認めるが、その余は争う。

五、同第六項の事実はいずれも争う。

第四  請求原因に対する被告住友の答弁

一、請求原因第一、二項の事実は不知。

二、同第五項の事実中、被告三脇の本店兼営業所として被告住友の名古屋工業所構内の建物を貸していたことおよび本件事故は被告住友の注文により同被告の製品を名古屋工業所から王子工業所へ運送する被告三協の業務の執行として、被告三協の従業員たる被告国森が被告車を運転中惹起されたものであることはいずれも認めるが、その余は否認する。

被告三協は被告住友とは全く別個独立の会社であり、ただ運送契約に基づき被告三協が被告住友の製品の運送を担当していた関係にすぎず、被告三協の業務の大部分は被告住友の製品の運送にあつたが、被告住友は被告三協をそのように拘束したことはない。また被告国森の自動車運転その他一初の業務執行に対する指揮監督は専らその使用者たる被告三協が行ない、被告住友としては、そのような指揮監督はしておらず、またなすべき立場にもなかつた。よつて被告住友は被告国森の運転中の本件事故につき、責任を負うべきいわれはない。

三、同第六項の事実はいずれも不知。

第五  被告国森、同三協、同田中、同安達、同伊藤の抗弁

仮に被告国森の過失により本件第二事故が発生したものであり、被告国森、同三協、同田中、同安達、同伊藤に右事故に基づく損害を賠償すべき責任があるとしても、請求原因に対する右被告らの答弁第二項後半に記載のとおり、訴外植田および原告初蔵にも過失があり、これも本件事故の一因であるから、右被告らが賠償すべき額の算定に当り、これらの過失を斟酌して減額さるべきである。

第六  抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実は否認する。

第七  証拠<略>

理由

一、事故の発生

<証拠>を総合すると請求原因第一項の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。(原告と被告住友を除くその余の被告との間では、第一事故の被告車の追突による衝撃のため第二事故が惹起されたものであるとの点を除きその余の事実については争いがない。)

二、被告国森の過失

<証拠>によると、被告国森は請求原因第一項のとおり被告車を運転して事故現場にさしかかつたが、その少し前から眠気のためぼんやりして、進路前方に対する注視義務を怠つた過失により、前方センターラインより右折準備のため方向指示器により右折の合図をしながら車首をやや右方に向けて停車していた訴外車の存在に気付かず、至近距離に至つてはじめて発見し、急制動をかけたが間に合わず、被告車右前部を訴外車左後部に追突させて第一事故を発生させ、その衝撃によつて訴外車はセンターラインを越えて右前方に押し出され、折から反対方向から進向して来た原告車の進路に突出し、訴外車の運転者訴外植田および原告車の運転者原告初蔵はともに突然の事態のため制動ないしハンドル操作による避譲の措置をとる暇もないまま、訴外車がほぼ五米位押し出された頃に、訴外車右前部と原告車右前部とが衝突し、よつて第二事故に至つたことが認められ、これを左右すべき証拠はない。右認定によれば被告国森の過失と第二事故との間にも、優に因果関係を肯認することができる。

よつて同被告は直接の加害者として、民法第七〇九条により、第二事故に基づく後記認定の損害を賠償する責任がある。

三、被告三協の責任

被告三協が被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことおよび被告国森が被告三協の従業員で、被告三協の物品運送の業務の執行として被告車を運転中本件事故を惹起したことは当事者間に争いがなく、前項認定のとおり、本件事故は被告国森の過失に基づくものであるから、被告三協は、本件事故に基づく損害のうち、人的損害(後第六項(一)の(ニ)を除くその余の損害)については被告車の運行供用者として、物的損害(後第六項(一)の(ニ)の損害)については被告国森の使用者として、それぞれこれを賠償する責任がある。

四、被告田中、同安達、同伊藤の責任

被告三協が合名会社であり、被告田中、同安達、同伊藤がその社員であつたことは当事者間に争いがなく、前項判示のとおり被告三協は原告らに対し、後第六項に認定する損害の合算額金五四六万円(原告セキに対し金一三一万九〇〇〇円、同初蔵に対し金九三万七〇〇〇円、その余の原告らに対し各金五三万四〇〇〇円の合算額)の賠償債務を負つたものであるところ、<証拠>を総合すると、被告三協は本件事故当時貨物自動車数台を所有して物品運送事業を営んでいたものであるが、その後経営が次第に振わなくなり昭和四一年一月二〇日(被告田中に対する本人尋問期日)当時においてその資産は自動車三台のみとなつていたこと、その後手形の不渡りを出すなどしたため、被告三協がその事業収入の大部分を依存していた被告住友から継続的な運送取引を解約されるに至つたことが認められ、右事実によれば被告三協の会社財産をもつてしては到底右損害賠償債務を完済することはできないと推認できるから、被告田中、同安達、同伊藤は合名会社たる被告三協の社員として被告三協とともに連帯して右債務を弁済する責任があるというべきである。

五、被告住友の責任

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

被告田中は昭和二八年頃から、運送営業の免許なくして、個人で、貨物自動車を所有して被告住友の名古屋工業所の製品であるスレートの運送に従事してきたが、この事実を会社組織とすべく、昭和三六年一一月頃に同被告が中心となつて被告三協を設立した。被告三協は右設立とともにスレート原料並びに資材運搬に限定して営業免許を得、以来被告住友との間に基本契約を締結して、継続的に名古屋工業所の製品の運送に当つてきたもので、本件事故当時その資本金一二〇万円、所有貨物自動車数数台、従業員十数名ないし二〇名程度を有する小規模な合名会社であつた。被告住友は、その名古屋工業所(住友セメント株式会社工務部の下部機構たる工業所)において製造するスレートの各工業所間の移動、およびスレート販売に当り買主の指定する場所までの運搬を売主が負担するいわゆる現場渡しに際し、被告住友としては組織内に輸送部門を有しないため運送業者にこの運送を請負わせる必要があつたが、スレートは運搬中破損し易いものであるため、多数の注文主からの多様な物品の運送を取り扱う規模の大きい業者よりも、少数の運転手を使用してスレートのみを専属的に取り扱う小規模な業者の方が、破損に対する運送上の注意が行き届く便宜があるところから、このような条件に合致する業者として、被告三協との間に昭和三七年八月一日以来基本契約を締結して、同被告に継続的に右製品の運送に当らせ、(基本契約の有効期間は一応一年となつていたが、当事者から特段の申し出がない限り自動的に更新されることとなつており、この関係は昭和四一年まで継続された。また被告住友の他の工業所においても製品輸送についてはおおむね同様の形態がとられていた。)右のような運搬を要する場合はまず被告三協に優先的にこれに当らせ、被告三協で賄えない場合にのみ他の運送業者との間でその都度個別的に契約してこれに運送させることとし、名古屋工業所関係の被告住友の製品運送のうちおおむね八割程度を被告三協が担当していた。またスレート販売に当り同工業所で製品を買主に引き渡すいわゆる工場渡しの場合にも、買主が輸送機関をもたないときには、被告三協がスレート輸送を専門としていることおよび右のような被告三協と同住友との関係から、事実上被告三協がその輸送に当ることが多かつた。一方被告三協としても、右の基本契約に基づき、まず優先的に被告住友の注文に応じ、なお余力ある場合にのみ他からの仕事を受けることとしており、また被告住友の諒解をあらかじめ得ない限りその運送業務を他に下請けさせてはならぬこととなつていた。従つて被告三協の業務の大部分は被告住友との契約に基づくスレート輸送であり、また他から受ける仕事の大部分も被告住友の製造したスレートを取り扱うものであつた。

被告住友は、右のような密接な関係にある被告三協の業務に便宜を与えるためその本店兼営業所として、被告三協の設立当初から名古屋工業所構内の出荷事務室を貸与していたが、その後昭和三七年頃から昭和四一年まで引き続き同工業所構内の裏門脇にある元社宅の建物を無償で貸与して使用させ、被告三協にはこれ以外に使用建物はなく、しかもこの建物に被告三協の名称が掲示されているわけでもなく、このため被告三協はその外観からは被告住友と別個独立の企業とは判明し難い状況にあつた。なお被告住友は被告三協の所有貨物自動車の置場として、名古屋工業所裏門内の構内空地を使用することを許容し、その場所については同工業所の作業に支障とならないよう適宜被告三協の運転手に注意を与えていた。

前記の基本契約に基づき、スレートの個々の運送は、被告住友の指示によつて画一的に取り扱われ、被告住友の本店営業部ないしその名古屋出張所からの発送の指図を受けた名古屋工業所から被告三協にその連絡があると、これに基づき、名古屋工業所内で被告住友の出荷担当従業員立ち合いの下にその指示により、被告三協の従業員によつて積載がなされるが、その際、スレートは運送途上破損し易いものであるため、被告住友の出荷担当者から被告三協の積載および運送を担当する従業員に対し、破損防止上の注意が与えられることもあり、特に被告三協の担当運転手が新入者または経験未熟者である場合には、積載方法および運転上の注意がなされていた。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、被告住友としては被告三協のような小規模な専属的運送業者を常に必要とし、一方三協としては会社存立の基礎を被告住友に依存しているという密接な相互関係にあつて、外観上のみならず実質的にも被告三協は大企業たる被告住友の製品運送を担当する一部門たる性格を有するものとみることができ、しかも被告住友は、前認定のとおりその出荷担当者により直接に被告三協の従業員に対し積載上運転上の注意を与えることがあるのみならず、被告三協の従業員が被告住友の発注によるスレート運送の業務遂行に当つている限度において、右のような密接かつ従属的地位にある被告三協の従業員の業務遂行行為一般に対しても、右のように直接に、あるいは被告三協の管理責任者を通じて間接に監督権限を及ぼしうる立場にあり、またこれを及ぼしていたものと推認することができる(前認定のように担当運転者が新入者または経験未熟者である場合に特に積載方法および運転上の注意がなされるのも、古参の運転者に対しては、その発送の都度そのような注意を与える必要がないからに過ぎず、潜在的には被告住友の指導監督が及んでいるものと推認される。)。

証人西田愛彦の証言(第一回)および被告田中本人尋問の結果も右に反する趣旨においてはこれを採用しない。

よつて被告三協の被傭運転手が、被告住友の発注による運送の業務の遂行に当つている限り、被告住友と被告三協の被傭運転者との間には、使用者と被傭者との関係と同視しうべき関係があると言いうるところ、被告国森は、本件事故当時、被告三協の従業員として、被告住友の注文により同被告の製品を名古屋工業所から東京の王子工業所へ運送する被告三協の業務の執行として、被告車を運転中であつたことは当事者間に争いがなく、前認定のとおりその運転中の被告国森の過失により本件事故が惹起されたのであるから、被告住友は民法第七一五条第一項所定の使用者として、本件事故による後記認定の損害を賠償する責任があるというべきである。

六、損害

(一)  被害者の死亡による損害

(イ)  被害者の得べかりし利益の喪失

<証拠>によると、被害者は明治三八年四月七日生れ、当時満五九歳の健康な男子であり、当時八百利支店の名称で青果業を営み、昭和三八年度一年間の右営業収入は金八三万二、八四八円を下らなかつたこと右営業は被害者の個人営業であつて、被害者個人の信用と労働がその中心を占めていたものの、なお原告初蔵が自己の営業として青果物の引き売りをするかたわら、原告時子が常時、原告セキが家事のかたわら時折、それぞれ右営業を手伝つていたことが認められ、右によれば、右年収の全てを被害者個人の挙げた収入とみることはできないが、少なくともその略七割に当る金五八万円は被害者個人の収入と認めうべく、また厚生省発表の昭和三八年度簡易生命表による満五九才余の男子の平均余命は一五・四年以上であることから推して、被害者も本件事故に遭わなければなお右と同程度生存しえて、引き続き右営業に従事できたものというべきであるが、右営業の性格と、原告初蔵本人尋問の結果により認められる被害者の長男原告初蔵が当時被害者の右営業を手伝い、また自らも青果物の引き売りをしていた事実に鑑み、将来適当な時期において右営業の実質的活動を原告初蔵に引き継いだであろうと窺えることとを総合して判断すると、被害者が引き続き右営業の中心として稼働すべき期間としては、右余命の略半分に当る八年間程度と認めるのが相当であり、被害者は本件事故に遭わなければ、右の期間前記と同程度の年収を挙げえたであろうと推認される。また原告初蔵、同セキ各本人尋問の結果によると、当時右の金八三万円余の営業収入で、被害者、原告セキ、同なか子、同時子、同正治、同光男の計六人の生計を支えていた(原告初蔵、同道子、同勇には別に収入があつた。)と認められることに鑑みると、被害者の右収入を得るに必要な生活費として原告らの自認する年額金一八万円は相当な額というべく、これを越えるとみるべき証拠はないから、右の被害者個人の年収からこれを差し引くと、被害者が将来挙げうべき年間純益は金四〇万円となり、被害者は本件事故により右純益の八年間分を失つたものというべく、これから年毎にホフマン式計算方法によつてその中間利息を控除して合算し、事故時におけるその一時払額を求めると金二六三万五四五一円となり、被害者は同額の損害を受けたというべきである。

(ロ)  被害者の治療費

原告初蔵本人尋問の結果とこれにより真正に作成されたと認められる甲第二七号証(被告住友を除くその余の被告らとの間では成立に争いがない。)によると、被害者は本件事故により、前示のとおり受傷した後死亡するまでの約三時間、石崎外科病院で治療を受け、その治療費として当日同病院に対し金一万〇、二〇〇円を支払つたことが認められ、これも本件事故により被害者が蒙つた損害ということができる。

(ハ)  被害者の慰藉料

原告らは死亡した被害者がその生命を害されたことによつて取得した慰藉料請求権を相続したと主張する。

しかしながら、当裁判所は、被害者が自身の死亡により取得する慰藉料請求権なるものは、これを認むべきでないと考える。けだし、「死亡により発生すべき権利を生存中に取得する」という観念は、それ自体矛盾を含むのみならず、法条の文理にも即しない。すなわち、民法第七〇九条ないし第七一一条を総合して合理的に理解せんとする場合、もし、第七一〇条を精神的損害につき慰藉料を請求しうる旨一般的に宣言した規定と見ると、第七一一条の「生命侵害」も父母、配偶者及ビ子」も、第七一〇条の埓外にも格別の意義を有しえず、第七一一条は単に生命侵害の場合にこれら親族につき権利侵害の挙証を軽減せしめる規定というに過ぎぬこととなる。同条に独自の存在理由を認めるためには、民法第七一〇条および第七一一条の文言を総合し、第七一〇条は生命侵害について規定するところなく、その代り第七一一条が特に生命侵害の場合につき被害者との間に密接な関係ある一定の親族のみに固有の慰藉料請求権を与えたものと解するほかないのである。(すなわち、被害者の親族に請求権を認めたのは第七一一条のみであるから、第七一〇条に基づき傷害による慰藉料を請求しうるのは被害者本人のみであり、かりに「死亡にも比すべき傷害」については親族にも慰藉料を認めうるとしても、それは第七一一条の類推によるべきものである。)これは、換言すれば、生命侵害による慰藉料請求権の発生は、法文上被害者すなわち死者本人に関しては否定されているものと解することにほかならない。

遺族固有の慰藉料請求権のほか、これと並んで被害者本人の慰藉料請求権の発生と相続とを認めれば、一見遺族の保護を厚くすることになるかの観がある。しかし、遺族が第七一一条所定の者である場合には、同条による固有の慰藉料を十分に算定すれば足りる筈であり、同条所定外の者が相続人である場合には、当然には固有の慰藉料請求権は発生しないが、被害者との間に「父母、配偶者及ビ子」の関係に比肩しうる特段の関係――民法第七一一条の文言は、「父母、配偶者及ビ子」については当然に密接な関係を肯定しうるものとして、かかる特段の関係の立証を不要とする趣旨と解される――が存する場合には、同条を類推することによつて固有の請求権を肯定しうるのであるからかかる親族と併せて同条所定の親族ある場合にも同理であるが、その存せぬ場合、例えば兄弟姉妹のみが相続人であるような場合の方が右の特段の関係を肯定し易いであろう。)、かかる特段の関係の存しない場合何ら慰藉料請求権を取得しないことになるからといつて、必ずしも遺族の保護に欠けることとはならない。他方、被害者本人の死亡による慰藉料請求権の発生と相続とを消極に解することによつて、これを積極に解する場合のもろもろの困難――例えば、民法第七一一条の存在理由に関する理論上の疑問や、遺族が固有の慰藉料のみ請求する場合と、併せて死亡した被害者からの相続分をも請求する場合との額の均衡をどのように計るかに悩み、あえて両場合を等しからしめても、今度は両者が時期を異にして各別に訴求された場合の取扱いに苦しむといつた実務上の難点――を回避することができることを指摘せねばならない。

かようにして、被害者本人の死亡による慰藉料請求権はこれを否定すべきであるが、これは必ずしも、傷害による慰藉料請求権の発生と相続とを否定することを意味しないことはいうまでもない。けだし、受傷による肉体的苦痛は、意識ある限り負傷後即時に発生するから、受傷後相当期間生存臥床して傷害に基づく苦痛に悩んだ後死亡したような場合には生命喪失に基づくものとは区別しうる精神的損害を観念しうることは当然であるが、このような場合と、何ら苦しみなく死亡した即死の場合とで加害者の賠償すべき慰藉料額が同じになるとすれば不公平であるから、傷害につき原則として親族固有の慰藉料を認めない以上、右の精神的損害に対する被害者本人の慰藉料請求権の相続を認めることにより、これを調節するほかない。もし、この相続を否定するとすれば、被害者が生前すでに傷害に基づく慰藉料の支払いを訴求し、これを受領していた場合に比し均衡を失することを免れぬのみならず、ひいては、あらゆる種類の慰藉料請求権について一身専属性を肯定することとなり、却つて妥当を欠くであろう。(なお、右に即死の場合傷害による苦痛が伴わぬことを指摘したが、それは必ずしも即死の場合常に賠償額が少額に止まるとの謂ではない。死者自身には苦しみのなかつた即死の場合にも、肉体を損傷したその「死にざま」のむごたらしさ等によつて遺族固有の慰藉料額が倍増し、よつて賠償の総額を増すということがありうるからである。)

かように、死亡による慰藉料請求権を否定し、傷害によるそれを肯定する場合、致命傷を負うて後死亡した被害者についても、原則として慰藉料請求権の発生を否定すべきである。けだし、吾人の場合における「死亡」の概念は法律解釈上のものであつて生理学上のそれと同一である必要はない。従つて、必ずしも絶命の瞬間を考えずともよく、致命傷を負うてから臨終の時点までを一体として把えてこれを「死亡」の事象の生起と見ることを妨げないのであるから、本件のように被害者の受傷と絶命との間に三時間の間隔を存する場合にも、死亡による慰藉料請求権の発生を肯定することはできない。もとより受傷による苦痛は即時に発生するから、致命傷を負うて後間もなく絶命する場合にも、その間における傷害に基づく慰藉料請求権の発生はこれを観念しえぬではない。しかし、生命喪失と区別して観念しうる精神的損害はこの場合僅少であるから(もし相当期間の臥床によりこれが多大に及べば別論であることは、前記のとおりである。)、強いてこれに対する慰藉料請求権を分離して相続の対象としなくても、死亡により遺族に発生すべき固有の慰藉料請求権の算定に際してこれを斟酌する程度で十分な筈である。もしそれ、生命喪失に関するもの、すなわち致命傷を自覚した被害者が死を前にして感ずる絶大の恐怖ないしいわゆる断末魔の苦悶の如きは、肉体に受けた損害のむごたらしさと類比すべき精神上の「死にざま」の一形態であつて、前者同様、遺族固有の慰藉料額を増加せしめる事情として評価すれば足り、あえて死にゆく者自身が取得する慰藉料請求権として観念する必要はないと考えられるのである。

以上のような考察の結果、当裁判所は、致命傷によると即死なるとを問わず、死亡自体に基づく被害者の慰藉料請求権の発生は、これを否定するものであつて、従つて、かかる請求権を相続したとする原告らの主張は採用しないし、その主張額の一部を傷害による慰藉料請求権の相続の主張と善解しても、本件においては、前記のとおりこれを肯認しえない。

(ニ)  被害者の物的損害

<拠証>によると、原告車は被害者の所有であつたところ、本件事故により、修繕不能となつたので、これを廃車として処理するのやむなきに至つたことおよび原告車は事故より一、二年前に代金二〇万円位で購入したもので本件事故に遭わなければなお相当期間使用に耐えた筈であつて、事故直前なお金一〇万円を下らない使用価値を有していたものであることが認められ、被害者は本件事故により金一〇万円相当の損害を蒙つたものというべきである。

なお原告らは原告車の使用不能により他に依頼した青果物運送費用金四万五〇〇〇円を本件事故に基づく被害者の損害であると主張するが、被害者は右費用支出当時既に死亡していたのみならず、被害者は本件事故以後青果業に従事しえなくなつたとして別に得べかりし利益の喪失による損害の賠償を請求しているのであるから、この間の青果業の継続を前提とする右運送費用の支出による損害の主張は失当というべきである。

(ホ)  葬式費用

<拠証>によると、本件事故に基づく被害者の死亡によりその葬儀関係の費用として、昭和三九年五月までの間に原告らは被害者の遺産中から合計金二一万四、〇九五円を支出したことが認められ、この額は葬儀費用としての損害として社会通念上被告らに賠償させるべき相当な額と認められるから、これを、後に認定するように被害者の相続人たる原告らの各相続分に応じて按分した額をもつて、各原告の損害とみることができる。

(ヘ)  原告らの相続など

被害者は本件事故により右(イ)、(ロ)、(ニ)のとおり被告らに対し損害賠償請求権を取得したものであるが、<証拠>によると、原告セキは被害者の妻として、その余の原告らはいずれも被害者の子として、被害者の死亡により、原告セキは三分の一、その余の原告らは各二一分の二の各相続分をもつて相続により被害者の右請求権を承継したものと認められるところ、原告らが本件事故に基づき自動車損害賠償責任保険による保険金五〇万円のうち右各相続分に応じて按分した額を受領し、これを前記(イ)の被害者の損害賠償請求権の原告らの各相続分に充当したことは原告らの自認するところであるから、これを差し引き、右により各原告の被害者の請求権を相続した分と前記(ホ)に認定した各原告の相続分に応じて按分した損害額との合算額を求めると、左の計算のとおり、原告セキにおいて金八一万九〇〇〇円(原告らの計算方法に従い千円未満切捨)、その余の原告らにおいて各金二三万四〇〇〇円(同じく千円未満切捨)となる。

(原告セキ分)

(その余の各原告分)

(ト)  原告らの慰藉料

前認定のとおり原告セキは被害者の妻、その余の原告らはいずれも被害者の子であつて、原告初蔵、同セキ各本人尋問の結果によると、被害者は当時家業たる前記青果業を中心となつて営み、その収入によつて原告らの大半の生計を維持していた一家の支柱であつたことと、被害者の子らのうち原告正治、同光男は未成年であり特に正治は脳性小児麻痺による半身不自由児であつて、被害者に養育さるべき立場にあつたものであり、被害者の死亡により原告セキはその養育を引き受けるべき立場に至つたこと、被害者の死後原告初蔵が家業の青果業を引き継いでいるが、その収入は被害者の生前に比しかなり少なく、そのため、原告ら一家の生計はかなり苦しいものとなつていることを認めることができ、右事実によれば原告らは被害者の死亡(致命傷を負うて後三時間にして絶命するまでを一体として)により甚大な精神的苦痛を蒙つたものとみるべく、右の事情に前認定の本件事故の態様等諸般の事情を考慮すると、この苦痛を慰藉するためには、原告セキにおいて金五〇万円、その余の原告らにおいて各金三〇万円の各支払いを受けるのが相当と認められる。

(二)  原告初蔵の受傷による損害

(イ)  原告初蔵の得べかりし利益の喪失

<証拠>によると、同原告は前認定の被害者の青果業を手伝うとともに、自らも別に青果物の引き売りをしており、その収入は月間金三万円を下らなかつたこと(同原告は月収約三万五〇〇〇円であつた旨供述するが、それは概算にすぎず他に適確な証拠もないので、少くとも右の程度の収入はあつたものと控え目に認定するのが相当である。)、および本件事故に基づく前認定の頭部外傷、右肘部、両膝部挫傷、両手背小指挫創の傷害の治療のため事故直後から昭和三九年六月一六日まで石崎外科病院に入院し、その後も昭和四〇年一、二月頃までは自宅で療養しながら連日のように同病院に通院し、このため少なくとも事故後九カ月間は右営業に復帰することができなかつたことが認められ、これを左右すべき証拠はない。右によれば同原告は、本件事故により右三万円の月収の九カ月分金二七万円の得べかりし利益を失つたものというべきである。

(ロ)  原告初蔵の治療費等

右認定のとおり、原告初蔵は本件事故により受傷して、この治療のため事故直後から昭和三九年六月一六日まで石崎外科病院に入院したのであるが、<証拠>(被告住友を除くその余の被告らとの間では成立に争いがない。)によると、右病院を退院した後も頭部外傷の治療のため右病院に通院を続け、同原告はこのための治療費として、自動車損害賠償責任保険による保険金により支払われたもののほかに、同病院に対し昭和四〇年四月一六日までに金三万三、〇〇〇円(千円未満初捨)を支払つたことが認められ、これも本件事故により同原告が蒙つた損害である。

(ハ)  原告初蔵の受傷による慰藉料

原告初蔵は前認定のとおり、本件事故による傷害の治療のため、約二カ月間の入院生活を余儀なくされたほか、同原告本人尋問の結果によると、なお頭部外傷の後遺症状として、時折頭痛、めまいなどになやまされるため、引き続き通院して治療を受けているが、現在においてもなお完治に至らないことが認められ、これによれば同原告は本件事故に基づく右受傷より重大な肉体的精神的苦痛を蒙つたものというべく、この精神的損害を金銭をもつて償うために相当な金額は、金一〇万円を下らないものと認められる。

(三)  過失相殺

被告住友を除くその余の被告らは、訴外植田および原告初蔵にも過失があるから、右被告らが賠償すべき額の算定に当りこれを斟酌すべき旨主張するが、訴外植田が民法第七二二条第二項所定の被害者と同視すべき立場にあると認むべき何らの証拠もないから、同訴外人の過失を賠償額の算定につき斟酌することはできない。

また、前第二項認定のとおり訴外車が被告車に追突されて原告車の進路に押し出されたのが突然の事態であつたことと訴外車が被告車に追突されて原告車と衝突するまでの進行距離がわずか五米位にすぎなかつたことに照らして考えれば、同項認定のように原告初蔵が右のとおり原告車の進路に向つて来た訴外車との衝突を回避すべき措置をとる暇がないままにこれと衝突するに至つたことは充分首肯しうるところであつて、右の措置をとらなかつたことをもつて同原告の過失とみることはできず、その他同原告に過失があつたと認むべき証拠はない。

よつて右被告らの過失相殺の主張は採用できない。

七、以上により被告らは各自、原告セキに対し右(一)の(ヘ)の合算額と(ト)との合計金一三一万九〇〇〇円、原告初蔵に対し右(一)の(ヘ)の合算額、(ト)、(二)の(イ)、(ロ)、(ハ)の合計金九三万七〇〇〇円、その余の原告らに対し各々右(一)の(ヘ)の合算額と(ト)との合計各金五三万四〇〇〇円および右各金員に対する右各損害発生の後であること明らかな昭和四〇年五月二〇日から各完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれらを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓治 浅田潤一 浜崎恭生(転任につき署名捺印できない))

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